アメリカで病気になった日本人夫。脳梗塞で夫が泣くのを初めてみた日
夫がアメリカで意識不明、心不全になりました。血圧が高かった原因は、褐色性細胞腫というものでした。腫瘍を取り除くために、5時間かけての手術。
まさかがたくさん起こりましたが、その後は順調に回復していき、私達は平和な日々を送っていました。
血圧が下がったので、なんでも食べて良いとお医者さんからは言われたけど、
「しょっぱいものはやっぱり控えたほうがいいよね。でも少しくらいは食べたいなあ、今まで頑張ってきたから」
と、ちょっと遠出をしてインド料理を食べたりと楽しんでいました。いままで塩分カットでしてきたから、少しくらいはと味わっていました。
でもまたある日は突然やってきました。
私達夫婦は、夫が心不全になってから、散歩をよくするようになりました。
以前は私一人で散歩していることが多かったのですが、20〜30分の散歩でも健康に良いと聞いて、夫も最近は散歩をします。
腫瘍を取る手術をして1ヶ月後、翌日を仕事復帰に控えたある日の散歩の帰り道。夫がいきなりバランスを崩して私の左腕にしがみついたんです。
「どうしたの?」
「なんか力が入らないんだ・・。」
「近くにベンチがある。そこまでいける?そこで休もう」
「ベンチに行かなくても大丈夫・・。でもちょっとまって・・」
今思えば、急に体のバランスを崩したこと、これが病気の前兆です。
このときすぐ収まったので、ゆっくり一緒に家に帰り、その後は特になにごともなく、無事に1日を終えました。
翌日、仕事復帰の1日目も平和に終わり、夫は無事に自宅へ帰ってきました。
夫が仕事を終え帰ってきてからは特に何事もありませんでした。仕事復帰1日目が無事に終わったので、私はほっとしていてくらいです。
良かったと思いながらその日、私は先に眠りにつきました。
深夜。
夫がリビングのソファーのあたりをいったり来たりしている気配がしました。
病気になってから早めに寝るようにはしていた夫ですが、基本夜ふかしが好きです。でもそういうときでも夫は私に気を使って大きな音は立てず、静かにしています。
だけれどこの日はなにかソワソワしている様子があり、私も目が覚めました。
私は眠かったのでそのまま目をつぶっていましたが、何をしているのかと思っていました。
しばらくして、夫が私の横にやってきました。
私は眠い声で、
「どうしたの?」
と尋ねました。
「・・・」
返事がありません。
でもしばらくして、
「・・右手の感覚がないの・・。」
え?!
その一言で飛び起きました。
深夜というか、もう朝方になっていましたが、感覚が無くなっていく恐怖を本人は感じ始めていたんだと思います。どうにか収まらないか、でも収まらないから私を起こしたんだと思います。
私はマッサージをしたりさすったりして、しばらく様子をみました。
しばらくするとさっきまでより良くなったこと、あとこの日はちょうど、夫が病院へ行く日でした。それらを踏まえて、私はとりあえず会社へ向かいましたが、心配だったので上司に状況を話し、その日は会社を休むことにして飛ぶように家に戻りました。
家のドアを開けると、そこには小さくなった夫の姿がありました。
「さっきより悪くなってきた・・」
それを聞いて、すぐに病院(エマージェンシー)へ連れていきました。
病院では先生にすぐ診てもらえました。
CATやMRIを使ってすぐに検査が始まりました。
診断の結果は・・脳梗塞でした。
その病名とは裏腹に、妙に落ち着いた自分がいたのを覚えています。夫は意識があったし、そのときはまだ右手も動いていたからだと思います。
でも夫の右半身、特に右手はどんどん動かなくなっていきました。
脳梗塞。
本当に怖い症状です。右半身が動かないということは、左脳のどこかがダメージを受けていることになります。夫の場合、小さな血栓が左脳に見つかりました。
今まで当たり前にできていたことすら、夫はできなくなっていきました。
右半身が今までのように力が入らず動かないので、
■服を自分でうまく着れない
■スプーンを右手で持てない(箸はもってのほか)
■字をかけない
■運転できない
左半身は問題なく動いているので、歩けるといえば歩けたのですが、つかまりながらゆっくり時間をかけて短距離を移動するという感じ。右肩、右腕はだらんとしていていました。
最初はスマホを使うのも大変でした。
利き手の右手が動かないから、使いにくいのはもちろんなのですが、情報を多く取ると脳が疲れるようでした。
運転はもちろんできません。右足に力が入ってない上、運転ではたくさんの情報が飛び交います。信号、標識、人、車。
自分でシャンプーもできません。
簡単にできていたことが突然できなくなり、あたりまえの日常生活を送れなくなりました。
夫が脳梗塞になったとき。
私は夫が泣くのを初めてみました。
夫は結婚前、アメリカでずっと一人でやってきました。だから芯が強い人です。喧嘩をしても、謝ることはほとんどしない強気な人でもあります。
でもその夫が泣いて謝るのです。
「まだ若いのに・・ごめんね・・。」
「自分が情けなくて・・。ごめんね・・」
涙を流す夫を見るのは非常に辛かったです。ただただ抱きしめてあげることしかできませんでした。
夫はどんどん体が動かなくなる恐怖に支配されていたんだと思います。うまく歩けない、今まで無意識にしていたことすらできない。1日に4回も泣くこともありました。そしてすごい寂しがるようになりました。
今思えば、鬱になりかけていたと思います。
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夫の右半身が思い通りに動かない。特に右腕や右手。どんな感覚なのか聞いたのですが、右手や右腕は重く感じて、自分の体の一部に感じなくて、違う物体がくっついているだけのような感覚。本で読んだのですが、多くの患者さんがマヒになった部分を「heavy」に感じると言っていました。
詳しく診断するために、お医者さんやセラピストによる検査が始まりました。
例えば、
■どのくらい歩けるのか
■記憶力
■目の動き
■話し方
■顔の表情の動き(ドロッピングがないか)
■飲み込む力(喉の筋肉)
などです。
それを経て、夫にふさわしいリハビリ方法を提案してくださいました。
夫は、通院するよりも入院して、そこで集中的にリハビリをして早く直したいという希望がありました。私は仕事をしており、仕事で家を空けている間に夫になにかあったらという心配もありました。それなら入院して、誰かの目が行き届いている方が安心です。
病院といってもリハビリ病院で、それ様の造りになった施設でした。
最初、夫は車椅子に乗っていましたが、なるべく自分で歩くようにと言われて、ゆっくりつかまりながら施設内を歩いていました。
シャワーに安全に入る方法なども教えてもらっていました。例えば、右半身が麻痺しているなら、バスタブに入るときは右足から踏み入れます。
アルファベットを書く練習をしているのをみたときは、正直ショックでしたが、ボールやゴムベルトを使ったリハビリ、パズル、ストレッチ、マッサージ。色々な道具を使い、様々な動きをして神経を刺激していました。
●日常生活を送れるように
●自立出来るように
それが目標でした。
脳梗塞と診断され、夫の右半身が動かなくなっていくのをみた時、お医者さんやセラピストは、
「いつ治るか断言はできないけど、リハビリをすれば、ほぼ元の状態に戻ります」
とおっしゃいました。
正直、私は信じられませんでした。
それほど夫の右半身、特に右手はグーの形に固まったまま動かなくなっていたんです。右手を開くには、誰かがこじ開けるか、左手で力を加えないと無理でした。
本人も信じられなかったようで、セラピストやお医者さん2・3人をつかまえて同じことを質問していました。不安で不安でたまらなかったんだと思います。
その言葉を信じて夫はリハビリやマッサージを続けました。私も毎晩、マッサージをして夫の手に刺激を与えました。
「たとえ動かなくても、動かしたいという信号を脳から送ることが大事なんですよ」
右手が全く動かなくても、動かそう、動かしたい。念じるようにイメージし、信号を送り、回路をつなげるようにすることが大事なんだそうです。
夫は毎日続けていました。良くなるかはわからない。でもやるしかない。でもそれでも動かない。
本当に動くようになんてなるのかな・・
そう弱音を何度も吐いていました。でも動きを止めることはしていませんでした。
動かない
↓
少し動いた
↓
でも良くなっている気がしない
↓
少し動いた
↓
でも良くなっている気がしない
↓
ほんとによくなるの?
この繰り返し。
でもそのおかげで、ある日動かなかった指がピクピクと動くようになり、グーが少しずつ開くようになり、手に力が入るようになり、ぶらぶらしなくなり・・
今はスプーンやフォークを右手で持てるようになりました!
今はまだ箸を長時間使うのは難しいですが、使えるし、字もかけます。シャワーもお風呂も一人で入れます。運転もできます。この間仕事にも復帰しました。脳梗塞になってから、約2ヶ月半で、夫は社会復帰しました。ほぼ日常に戻りました!仕事に再び復帰したときは本当に嬉しかったです!
マヒしてしまった状態からここまで回復して、リハビリの力というか人間のメカニズムってすごいと私は思いました。
もちろんここまで戻れたのは、お医者さんやセラピストの方のおかげです。それから本人の努力。諦めなかったこと、自分でも情報を取ろうとし、リハビリを続けたからだと思います。
精神的にきつかったと思いますが、本人はよく頑張ったと私は思います。
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夫が心不全になったときも、手術をしたときも、まさかと思いましたが、そのあと続けて脳梗塞になるとは全く思っていませんでした。本人はショックだったでしょう。心不全後の手術をしたあとは、流石に回復するだけだと思っていたから。
脳梗塞には種類が色々とありますが、診断されたら死を連想してしまうと思います。
でも、その中でも夫の場合はまだ良かった方だったのかなと思いました。
記憶もあるし、認識障害があるわけでもなかった。コミュニケーションも問題がなかった。だからセラピストやお医者さんの言うことを聞いて理解し、リハビリも乗り越えられたのだと思います。もちろん本人もリハビリを本当に頑張っていました。
今は右半身のマヒはほぼなくなっています。それは本当にありがたいことです。(腫瘍を取る手術をして血圧は下がったけど、その後すぐに脳梗塞になったのでその関係性は今調べてもらっています。)
脳梗塞のことは夫の両親にも私の両親にも伝えてはいません。心不全と手術のことは知っています。だからこそこれ以上、親に余計に心配をかけたくない。
それは夫の希望であり、私は夫の意思を尊重します。次に日本に帰るときは元気な姿を見せたいからリハビリを頑張るんだという力にもなっています。
私はよく自分の親と電話をします。親からの「2人とも元気なのか」という質問には「元気だよ、仕事も行っているよ」と答えていました。本当は2ヶ月半の間、夫は休んでいたから、ウソを付くのは心苦しかったですが・・。
なってほしくない、一生分の病気を、この1年で患った夫。
心不全、手術、脳梗塞でもっとも辛かったのは脳梗塞だそうです。心不全と手術は回復を待つだけだったけど、脳梗塞はマヒを引き起こし、手足が動かなくなり、簡単なこともできなくなっていく恐怖を感じたから。病院から脳梗塞についてのパンフレットをもらって、「自殺」という言葉を見つけたとき私はドキッとしました。そうなってもおかしくないくらい、絶望とか無力感のようなものを感じるのだと思います。
正直私は日本に引き上げるという選択肢も考えました。最悪の場合、夫を連れて日本に帰ろう。
夫が苦んだり、悩んだりする姿をとなりでみてきた私も心理的に辛かったです。
でも、今の私なら夫を支えられる
精神的にという意味ですが、そういう気持ちのほうが私は強かった様に思います。
もし、昔のような何もできない私だったら、オロオロしてどうしていいかわからなかったかもしれません。夫を支えるのは無理だったでしょう。でもアメリカで色々なことを経験しました。今回、夫の症状がおかしいと感じたとき、すぐに近くの病院につれていくこともできました。(散歩中にバランスを崩したときに病院へ連れて行くことができたらもっと良かったですが、この段階で脳梗塞かもしれないと気づくのは非常に難しいと思います。自分達もそう感じたし、脳梗塞についての本にもそう書いてありました)
今は仕事があります。職場の方たちに私はすごく励まされました。
「私の夫も昔なっちゃったのよ・・だからわかるわ。出来ることがあったら言ってね!」
上司も
「家族が最優先だよ。スケジュール調整できるから、いつでも言いなさい!」
と励ましてくれました。
このブログを通じて、応援の言葉も頂きました。
私は強い人間ではありません。でも周りの人の支えや励ましを感じ、強くいられました。自分を見失わずにいられた様に思います。みなさま本当にありがとうございます。心から感謝しています。
今では、我が家での家訓は、
「健康第一!」
になっています。仕事に行く夫を朝送り出すときは、「無理しちゃだめだよ」と声をかけるようにしています。頑張ってしまう夫だから。無理をしない。健康あっての仕事であり、生活だから。
再び、塩分カットの食事に加え、コレステロールや糖分のことを気にする生活になったので、大変ではあります。
でも同じようなことが起こってほしくないから、これからは健康に無頓着ではなくて、健康第一で、2人で歩いていきたいと思います。
・夫が心不全になったときの記事はこちらアメリカで日本人夫が病気になりました。健康だったのに海外で心不全
・その後の手術のときの記事→夫がアメリカで病気になりました(その2)手術で私の心臓が止まるかと思った
アメリカ生活のリアルについてはこちらで書いています↓
アメリカの大自然についてはこちら↓
ラスベガスについてはこちらでまとめています↓
ラスベガスに来たらグランドキャニオンは観光必須!
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