夫がアメリカで病気になりました(その2)手術で私の心臓が止まるかと思った
夫がアメリカで倒れ、救急車で病院に運ばれました。
原因は心不全でした。
心不全にも色々ありますが、心不全は高血圧の人が引き起こしやすい症状です。病院に運ばれたとき、夫の血圧は高い状態でした。
ではなぜ夫は高血圧なのか。
検査をしていかないとわからないということで、一度退院、自分たちが住む州に移動して、そこの病院で検査をすることになりました。
心不全になってしまったときの記事はこちら⇒アメリカで日本人夫が病気になりました。健康だったのに海外で心不全
時間をかけていろいろ検査をしたところ、腫瘍の可能性が疑われました。
腫瘍という言葉を聞いたときはドキッとしました。
腫瘍。
悪性だったらガンだということだよね・・?でも良性の可能性もあるし・・
夫が心不全から回復してきて喜ばしい一方で、とても不安に襲われました。不安を解消するためにネットで検索しまくったりしました。勝手に判断することはよくないと学んでいるからしないけど・・。
MIRなどの検査を受け、お医者さんから診断されたのは、「褐色性細胞腫」というものでした。
これは腎臓の近くにでき、この腫瘍がホルモンに働きかけてしまい高血圧を引き起こすそうです。
血圧を通常の値にするために、この腫瘍を取り除いたほうがいい。
そう言われ、夫は手術をすることになりました。心不全で倒れてから6ヶ月後のことです。
手術の日は夫と病院に行きました。
簡単な手術と聞いていたのですが・・心配なことが起きました。
手術前の血圧の数値がなぜかまた異様に高くて、下げる薬を投入。この状態でも手術をするのかと、ここでまず心配に。
2〜3時間の手術と聞いていたのですが、4〜5時間に変わっており、ええ!長いじゃん大丈夫なの?とまた不安に。
「ICUはおそらく使わないと思います」という、お医者さんの言い方も気になりました。
でも信じて待つしかありません。
そして夫は手術室へ運ばれて行きました。
終わったらドクターが電話をくれるということで、私は一旦家に帰って待機。
でもこの4時間が異様に長く感じて恐怖でした。予定の4時間を過ぎても病院から電話がない。4時間30分が経過しても連絡なし。
もしかしてなにかあったのか・・
いてもたってもいられなくなっていた時、やっと電話が鳴りました。5時間近く経ってました。
お医者さんは、
「彼は今ICUにいます。予想以上に出血しました。でも術は無事に終わりましたよ。ただ今日は、彼は話せません。」
え?ICUに?
またびっくりするような言葉を告げられました。
とにかく、夫のところへいかなくちゃ。電話を切ってからすぐに病院へ飛んでいきました。
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ベッドに横たわり目をつぶっている夫。
口には太いチューブが入っていて、自分で呼吸ができないということでした。
目が開かないように、透明なノリのようなものが塗ってあり、両手は暴れないようにかベルトで固定されていました。
その姿をみたら悲しくてショックでした。大変な手術だったということ。簡単な手術ですよと言っても手術です。
手術前、夫の様子はいつもと同じでした。「怖いよね?」と聞いたら、
「そりゃ怖いよ。だから待ってる時間がいやだからさっさとやってほしい」
私を不安にさせたくない、弱々しい姿をみせたくないという思いもあったんだと思います。
予定では一般病棟にいるはずだったけど、出血というアクシデントがあり、ICU。私は日本にいる両親たちに電話するべきと思いました。
実は、手術のことは両親たちに隠していました。
「両親には内緒にしておこう。そんなおおきな手術じゃないし」
年老いた親に心配をかけたくない。それは夫の希望です。
もしICUを使ってなかったら、電話をしないつもりでしたが、でも何が起こるかわからない。
心配をかけたくなかったけど、両親たちに今の状況を伝えておくことにしました。それが私にできるたった1つのことだったと思います。
手術が終わった翌日にやっと目が覚めた夫ですが、薬のため、このときのことは全く覚えていないそうです。
でもすぐに退院できました!これは拍子抜けでしたが、回復が早かったのかなと私は思います。とても嬉しかったです!
それから血圧は通常値に下がりました!腫瘍を取り除いていただいたおかげです。これも本当に嬉しかったです。
今後の食事はどうするべきかお医者さんに聞いてみたのですが何を食べても良いですよとのこと。
え?うそでしょ?フレンチフライもですか?
YES!
ってほんとに?信じられません。
心不全になってからは食塩摂取を最小限にカット、水分も1日に2リットル以内と制限してきました。
食べることが大好きな人が、味のほとんどない食事に変えざるを得なかったこと。これはとても辛かったと思います。食べたい、でも食べられない。本人はものすごく大変だったと思うし、私もそういった食事を作るのは大変でした。外食は塩分が多いため、ほとんどしていません。
なのでアクシデントはあったけど、手術して良かったね!と2人で喜びました。
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心不全のときと手術のときで、異なる州、異なる病院に入院したのですが、最初の病院ではお医者さんたちとコミュニケーションをうまく取れませんでした。
初めてアメリカで大病にかかったため、夫のことや、保険のことが心配だった私は気張ってしまったことが原因の1つです。
なんでも知ろう、すべてを把握しようとした私は、通訳サービスを使って必要以上にお医者さんの話を聞こうとしてしまいました。夫がすでにお医者さんから聞いていることでも、私もお医者さんから同じ話を聞こうと試みていました。
だからめんどくさい患者というレッテルが貼られていたように思います。
あとコロナでお医者さんたちは忙しかったため、お医者さん同士のコミュニケーションが取れてなかったのも1つの理由だと思います(アメリカでは医療に限らず横のコミュニケーションが取れてないと私は感じます。個人主義だからかな)。1人のお医者さんは退院していいよと言ったのに、他のお医者さんはだめですとかあったので。
そんなことがあって、2つ目の病院では、そこまで踏み込んだことは私はしませんでした。夫がお医者さんからすでに聞いているお話は私は夫から聞けばいい。お医者さんを信頼し、お願いしますという姿勢を試みました。もちろん、不明なところはクリアにしてですよ。
そのせいか、2つめの病院のほうが何事もスムーズでした。2回めの病院だったから、要領がわかったというべきかな。
通訳サービスは、必要だったら使うべきだけど、何が何でもいつも使わなくても良いんだなと思いました。
つづく
夫が心不全になったときの記事はこちらアメリカで日本人夫が病気になりました。健康だったのに海外で心不全
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